2015年4月20日月曜日

閑話休題 奇人?天才? ヴェサリウス























専門的な体の話ばかりだと書いてても面白くないし、きっと読んでいても面白くないので、ここらでちょっと違う話を一つ。





「ルネサンス」という言葉はよく聞きますが、ルネサンスによってカトリック教会に支配されていた暗黒時代から解放されたのは、美術や芸術だけでなく医術もまた同じです。

西洋医学の源流は古代ギリシャにありますが、カトリック教会の縛りを受け、1500年もの長い間、ヨーロッパの医術はそこから全く発展しませんでした。




しかし今回の話の主役、「近代解剖学の祖」とも呼ばれるヴェサリウスによって、医術の世界のルネサンスは幕を開くこととなります。

彼の功績は「医学の十大発見」の一つにも数えられるほどの偉業であり、西洋医学の歴史を学べば彼の名前を必ず聞くこととなります。




しかし同時に、このヴェサリウスは「死体解剖マニア」であり、幼少期から小動物の解剖を繰り返し、成人すると墓から死体を盗掘して自宅に持ち返り、自宅の寝室に隠して解剖した、というくらいの極めつけのサイコ野郎でもありました。


恐らく現代なら確実に精神病院か刑務所に送られたであろうこんな彼によって近代医学が切り開かれたというのは興味深く、その生き様もファンキーで面白いので、今回はそんな彼のお話を紹介しつつ、ちょっと医学の歴史を見てみましょう。







さて、冒頭にも書いた通り、ヨーロッパでの医術の発展はギリシャに始まります。


最近では「ギリシャ」といえば「=経済不振」のイメージで、当時の興隆の見る影もありませんが、紀元前2000100年頃までは情報の発信源であり、現在でもキリストや釈迦と並んで聖賢として崇められるソクラテスのような偉大な哲学者を生み出すなど一大文明を築き上げました。

そんな中、医術の世界で一番有名なのは「医聖」とも呼ばれるヒポクラテスです。彼はソクラテスと同時代に活躍し、医者の倫理を説くヒポクラテスの誓いは2000年以上経った現在でも引用されますし、彼の遺した「病気ではなく、病人を診なさい」なんて言葉も今なおその重要性を増しているように思われます。





さて、そんな医聖ヒポクラテスを含め、古代のギリシャの医学では4体液説というものが信じられていたそうです。ちゃんと興味を持って調べたことがないのであまり詳しいことは知りませんが、

『世界は「水」「火」「空気」「土」という4つの元素からなり、それぞれが「湿」「温」「乾」「冷」という性質をもっていて、春夏秋冬の季節の移り変わりもこうした4元素の移り変わりを反映する。

人体もその4つの性質を持った体液によって構成されていて、温かく湿った「血液」、温かく乾いた「黄胆汁」、冷たく乾いた「黒胆汁」、冷たく湿った「粘液」のバランスの乱れが病気を引き起こす』

というのがその4体液説の根幹で、この4体液説は西暦125年に生まれたガレノスによって完成されました。この説はカトリック教会の教義とマッチするところがあったようで教会に公認され、その後中世になるまでヨーロッパの医学の教科書で教えらました。





それからルネサンスが来るまでの千年以上の長い間、教会に認められた以外の説は厳しく取り締まられて異端として罰せられたため、ヨーロッパにおける医学はここから1000年以上発展しませんでした。

医学と言えばガレノスで、ガレノスの書いた物だけ読んでいればいい。そこに書かれているは絶対的に正しく、もそれが現実が一致しないのなら、それは書物ではなく現実の方が間違っているからだ、とまで言われたそうです。





ちなみにちょっと話がそれますが、この暗黒時代のヨーロッパで、魔女として火あぶりにされたり磔にされたりして殺された人達の中には、多くの治療家や薬草士がいただろうと思われます。

彼らはきっと薬草やら何やらで病気を治したりして、歪められた教会の教義よりも自然の法を信奉する人達であったことでしょう。そして、教会の信徒がそちらに流れ込むのを恐れたり妬んだりした人達によって、殺されたであろうことは容易に想像できます。

そんなわけで僕は、アロマセラピーは魔術の系譜であり、アロマセラピストは魔女の弟子たちだと勝手に妄想しています。(ちなみに気功は仙術であり、気功師は仙人の弟子だと思っています。)








話を戻すと、そんな教会のしばりがゆるまり、長い間禁止されていた死体解剖も聖職者の許可の下に認められるようになった頃、ヴェサリウスは現在のベルギー、ブリュッセルに生まれました。それは日本で言えば織田信長が生まれるちょっと前の1512年のことでした。

ヴェサリウスは子供の頃から解剖が好きで、手当たりしだいに身の回りの小動物を捕まえては解剖していた生粋の解剖マニアでした。彼の自宅の裏に広がる森の丘には絞首台があったらしく、彼の死体への興味はそんな所から始まったのかもしれません。



成長してパリの大学に解剖学を学びに行った彼ですが、解剖学の授業の際にそのあまりの手際の悪さに我慢がならず、3日目にして自ら進み出てメス(ナイフ?)を取り、動物の解剖で鍛えた腕で人体を解剖をしてみせた所、そのメス捌きを買われて助手を務めることになりました。

ちなみに当時の中世ヨーロッパでは、「教会は血を忌む」という思想があり、外科手術は「汚らわしく野蛮な行為」で、大学で正式な医学教育を受けた医師たちは自分たちではメスを取らず、理髪師たちに命じて外科処置を行わせていたそうです。そんなわけで、当然解剖学の授業でも、解剖をしていたのは理髪師で、教授は高い位置から説明をするだけだったそうです。

床屋さんのトレードマークの赤と青と白のあのクルクル回ってるやつも、一説によると理髪師が外科処置をしていた頃の名残で、動脈と静脈と包帯を表すとも言われています。



そんなわけで大義名分を得て、助手として大学で好きなだけ死体解剖をする機会に恵まれた彼ですが、とうとうそれだけでは飽き足らなくなり、お墓から死体を掘り出して自宅に持ち帰り、解剖を繰り返したそうです。(当然ですが、ホルマリンとかもなかった時代なので、彼の家はすごい腐臭がしたことでしょう。)



そんな努力(???)が実を結び、晴れて教授になった彼は、解剖を繰り返すうちにガレノスの書いた人体の構造に間違いがあることに気がつきました。(実はガレノスは人体の解剖をしたことがなく、動物の解剖に基づいた想像で書いていたようです。)

そこで彼は、自らの解剖と観察の結果をまとめた『ファブリカ』という解剖学書を出版しました。日本でかの有名な『解体新書』(ターヘルアナトミア)という人体解剖書が翻訳されたのは1774年ですから、それよりも250年も前の出来事です。

上の写真はこのファブリカの一部で、見て分かるようにデザインもかなり独特で、センスとこだわりを感じさせて僕は結構好きです。




ただし、この本の内容はガレノスの示した人体のしくみと全く異なったために、大きな衝撃と議論を呼びました。

これは、科学の世界で言ったら「太陽が地球の周りを周っているという天動説は間違っていて、地球が太陽の周りを周っているという地動説が正しい」と言ったぐらいの大転換であり、当初は全く受け入れられず、大学での恩師や弟子達も彼に激しい非難を浴びせたそうです。

(ちなみにコペルニクスが地動説を初めに発表したのはまさに同時代の1510年のことでした。ただし教会の弾圧を恐れたため正式に出版されたのは彼の死後1543年。)


そんな騒動に嫌気がさした彼は、ぶち切れて今までの研究成果を全て火に放ち、大学を去りました。その後宮廷で医師として仕えた後、エルサレムへの巡礼の途中、彼を乗せた船は嵐に遭遇し、何日間も地中海を漂流した後小島にたどり着いたものの、そこで命を落としたと言われています。








現在ヴェサリウスは「近代解剖学の祖」と呼ばれ、医学を1000年のくびきから解放した偉大な「天才」であると評価されています。しかし、それと同時に、彼は「死体倒錯者」で「解剖マニア」で「奇人」であったわけで、やはりそれくらい突き抜けている人でないと、「常識」は変えがたいということなのかもしれません。

現代の日本は「右にならえ」式の教育で、皆と同じ、型にはまったことしかできないし、それしか許さない風土があるように感じます。そんな今だからこそ、常識にとらわれない発想、型にはまらない発想が大切なのかもしれません。

そのためには、それが何であれ、他人がどう言おうと、周りがどう思うかではなく、ヴェサリウスのように自分の好きなことをとことん追求することが大切なのかもしれません。




でも良い子の皆さんは死体を掘り返して解剖するのはやめましょう。
ま、そもそも火葬の風習ある日本ではできませんが。おしまい








*今回の話は茨城保さんの『まんが医学の歴史』を参考にしています。とても面白くて読みやすいわりに深いので、医学の歴史に興味のある方は是非読んでみて下さい。








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