2014年7月15日火曜日

汗をかける体になろう





 7月も半ばになり、いよいよ夏本番。暑くなってきました。
日差しから逃れて冷房の効いた部屋で過ごすのが気持ちのいい季節ですね。
いかがお過ごしでしょうか?



今回は夏の過ごし方について注意点です。

「汗をかくとベタベタするし、服はしみになるし、できたら汗をかかずにひんやりとクーラーの効いた部屋で過ごしたい。」そんな風に思っていらっしゃる方も多いのではないかと思います。



「人間の体の反応には全て目的がある」と言われていますが、そもそも汗はなんのためにでるのでしょうか?

汗にも色々な種類がありますが、例えば、「手に汗を握る」という言葉があります。すごく緊張するような場面になると手や足から汗がでてきますよね。あれにもちゃんと意味がある、って知っていましたか?




それはこんな風に説明されています。

「その昔、私たちがまだ今ほど技術が発達していなかった頃、外敵から身を護る時に木の枝などの武器を使っていた頃、持っている武器がすべらないように、という目的で手から汗が出るようになり、そして走って逃げる時に滑らないように、ということで足からも汗がでるようになった」と。

現代の生活では実際武器を手に取る機会はあまりありませんが、その名残が今でも残っていて、ストレスを感じる状況に置かれると、体が戦闘モードや逃走モードに入り、手や足から汗がでるようになっているそうです。




では暑い時にでる汗はなんの目的があるのか?

というと、それはもちろん体内の熱を下げるためです。その昔学校で習ったように気化熱という作用で、汗は蒸発する時に熱をうばっていきます。それは汗をかいた時に風があたったり、うちわであおいだり、扇風機にあたったりすると涼しく感じる、あれです。また、体に溜まった老廃物も汗とともにでてゆく、ということも言われています。





さて、ここからが今回の本題です。

適度な冷房の効いた部屋は気持ちよいものですが、常に涼しい所にいると、体の「汗をかく」機能は低下します。汗は汗腺という所から出てくるのですが、この汗腺が「あ、俺、働かなくていいんだな」と判断して、なまけるようになるためです。




これの何がいけないか?

冷房の効いた所にいる時はよくても、一歩外にでれば当然暑いです。「汗がうまくかけない」体になると、そんな時に汗で熱を放出することができなくなります。そうすると体内に熱が溜まっていきます。汗がかけなくなればなるほど、どんどんと熱は溜まります。


自然界で熱いものが上に向かうのと同じ様に、体内でも熱いものは上に向かいますので、その「熱」は頭に昇り、そこで溜まることになります。よく夏も半ばになってくる、頭がなんとなくボーっとしたような、だるいような感じになることがあるのは、これが主な原因ではないかと僕は考えています。


更に、現代では大抵のオフィスや部屋の中に一歩入れば今度は冷房が効いています。冷たい空気は足元に溜まるので、足はどんどん冷えていきます。そうすると、頭はどんどん熱くなり、足はどんどん冷たくなり、体の中でものすごいアンバランスが作り出されることになります。(特にお洒落のため足首を出していることの多い女性は注意です。)その結果として、体調がおかしくなる。



これを裏付ける科学的な根拠は全くありませんが、体感として、これが夏の風邪や、夏バテなどの不調を引き起こす仕組みの一つなのではないかな、とここ数年感じています。





昔は炎天下の中水も飲まずにうさぎ跳びをしていても熱中症になる人などいなかったのに、今ではちょっと朝礼をしているだけで子供たちが倒れてしまうのは、土がなくなり、コンクリートだらけになって、ヒートアイランド現象が起きているから、というのもあるでしょうが、こんなことも理由の一つなのではないでしょうか?


ということで、「汗をかける体」になりましょう。





そのためにはどうしたらよいか?

体を動かしましょう。たまには思い切り汗をかくようなことをしましょう。実際やってみると、体も気持ちもすごくすっきりするのを実感なさることと思います。

体を動かすことができない方や、どうしても体を動かすのが嫌いという方には半身浴で汗を出すのがオススメです。これにもやり方があるのですが、既にもう随分話が長くなってしまったので、また別の機会に書きたいと思います。






*ちなみに暑くもないのにやたらと汗がでる、というのは自律神経のバランスが崩れている証拠ですので、気をつけましょう(交感神経の過緊張)。



2014年7月1日火曜日

SMILE 〜 笑う門には福きたる?




「和顔施」という言葉があります。

仏教では、お布施は人を助ける尊い行為であり、お布施をすることは自分の「徳」を積むことになる、という考え方があります。タイなど東南アジアの仏教国ではよく、街の人たちが托鉢のお坊さん達にお礼を言いながら喜捨をしている姿を見かけますが、あれもお布施の一つです。





そして、世の中にはお金以外にも「施し」を与える方法がある、と教えは続き、その一つが「和顔施」です。平たく言うとつまり、「人に笑顔を向けましょう」ということ。

笑顔を向けられて嬉しくない人はめったにいません。周りの人に笑顔を見せて、その人達を幸せな気持ちにすること。これも立派な「施し」の一つだ、と考えられています。タイが「ほほえみの国」と言われるほど柔らかい表情の方が多いのには、こんな背景もあるみたいです。





また、「心と体の不思議」で書きましたが、カラダの状態はココロの状態に影響を与えるので、別に面白いことなど何一つなくても、笑っていると何となく楽しい気持ちになるのは本当のことです。



それに、私たちの殆どの人は、選べるのだったら、しかめつらをしている人より、笑顔の人のそばにいたい、と思うのではないでしょうか?笑顔には人を引き付ける力があります。生まれつき顔が綺麗だけれども硬い表情をしている人よりも、それほど見た目はよくなくても笑顔が素敵な人の方が、魅力的だと僕は思います。






「笑う門には福来る」というのは、笑顔でいることで「自分も楽しく」なり、「周りの人も楽しく」なり、それが結果として「よい縁を運んできてくれる」。ということなのではないか、と僕は勝手に解釈しています。つまり笑顔でいると「いいことづくしで損はない」と。





考えてみれば、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザにしても、中宮寺の菩薩半跏像にしても、もしあの様に微笑んでいなかったら、これほど何世紀もの間多くの人に愛されることはなかったでしょう。



僕はずっと「面白いこともないのに笑えるか」と思って生きてきたタイプですが、ごく最近路線を変更し、なるべくいつでも笑顔でいるよう心がけています。あくまで「つもり」なだけで、いつもそうできているとは言えませんが、実際やってみて何だか今の方がずっといいような感じがします。


お葬式でもない限り、笑顔でいて損することはまずありませんし、何のお金もかかりません。とりあえず、何か楽しくないことがあった時は、笑顔を試してみるのもよいのかもしれませんね。