2014年11月1日土曜日

怒りを捨てる その2 〜 価値観を知る




昔々ある人が、『世の中には、人を最も苦しめる3つの猛毒がある。それは貪ぼりの心(「貪」)、怒りの心(「瞋」)、無知・無明(「痴」)だ』と世の人に説きました。

以来2000年以上、この「三毒」や「四苦」・「八苦」から生じる憂いや哀しみを克服し、より良く生きるためのコツやウンチク(「法」)を説いて伝えているのが仏教です。(と僕は理解しています。)

キリスト教についてはあまり詳しくありませんが、この「度を越した欲」と「怒り」はカトリック教会の「七つの大罪」にも入っているようです。





まあつまり、洋の東西を問わず、時代を越えて時を越えて、それだけ昔から怒りの心に振り回される人が多かったし、今でもそれは全く変わっていない、ということなのでしょう。

誰だってイライラしたり、心配したり、哀しんだりして過ごすのが楽しくてしょうがない、という人はいないはずです。怒りや憂いや哀しみから解放されて幸せに過ごしたいというのは、貧富を問わず、時代を越えて、地域を越えて、全ての人が求めることでしょう。



そんなわけで今回も引き続き、怒りから(ちょっとでも)解放されるためのステップその2です。





前回は「怒り」は二次感情であって、まずはその裏にある自分の本当の気持ちや想い(一次感情)に「気が付く」ことが大切だと書きました。



どうでしょうか、試してみましたか?
うまくできたでしょうか?

今回はもう一歩進んでみましょう。







例えばメールが返ってこなくてイラッとしたとしたら、それは「(私への)メールは返すのが当たり前」と思っているからであって、「メールは返ってこなくて当たり前」と思っていれば、そのことに対して腹を立てたり、傷ついたりすることはありません。


同じ様に、「(彼氏/彼女/夫/妻/親/子供/上司/部下/友達…)だったら~するのが当たり前、~してくれるべき」と思っているからこそ、その人が何かをしてくれなかった時カチンとくるわけで、そこには自分の「価値観」や「思い込み」が隠れています。





私たちには価値観や思い込みからくる期待があり、その期待が裏切られた時、私たちの心は動きます。この「価値観」や「思い込み」は生まれて育った環境などによって形作られ、普通は自分で意識することもありません。そのためそれに気が付くことは、前回書いた自分の本当の「気持ち」(一時感情)に気が付くよりも少し難しいことですが、それができるようになれば、そもそも「怒る」ことは段々となくなっていきます。



一次感情に気が付くことはとても大切なことですが、それだけでは根本的に「怒り」から解放されることはありません。別のタイミングで同じようなことがあれば、きっと同じように反応するだけです。でも自分の持っている「価値観」や「思い込み」に気が付くことができれば、それだけでも、同じことがあってもそもそも心の揺れが生じること自体が減っていきます。







そしてもし自分の価値観や思い込みに気が付くことができたなら、果たして本当に「その自分の信じている価値観は正しいのか?」考えてみることも大切です。よくよく冷静に考えてみると、自分が「正しい」と思っていることは、案外自分だってそれをちゃんとできていないし、必ずしも「正しい」とは限らない、ということに気が付くでしょう。



万が一、それは絶対正しいし自分はきちんとそれができている、と思うのであれば、今度は「その価値観を持っていることは自分にとって有益か?」考えてみましょう。


基本的に「~だったら~べき」という様な価値観や思い込みを持っていれば持っている程、人生は生きづらくなります。必要な荷物まで捨てることはありませんが、余計な荷物をしょって道を歩くのは疲れます。捨てた方がよい荷物は捨ててしまった方が生きていくのは楽にはなることでしょう。







その様に自分の価値観を観察するうちに、今自分が「当たり前」と思っていることが、どんどんと変わっていくはずです。そして今「当たり前」と思っていることに対して、ごく自然に「感謝」の気持ちが生まれてくる時が必ずきます。







今回はかなり抽象的な話になってしまいましたが、まずはやってみるとどういうことか実感して頂けるはずです。やり方さえ掴めば、自転車に乗るように自然に出来るようになります。ただ初めは自分ひとりではコツが掴みにくいかもしれません。こういうことにご興味があれば、それに特化したカウンセリング/コーチングセッションも行なっていますので、お気軽にご連絡ください。





ちなみに、この「価値観」や「思い込み」は私たちの意識のかなり深い部分にあるため、いきなりそこに到達することは中々難しいのではないかと思います。「気持ち」や「想い」はもう一段浅い所にありますが、このせわしない現代の生活の中では、そんな自分の気持ちや想いにすら、ちゃんと気が付いてあげることができていない人が大多数な気がします。



なので順番としては、まずは一番浅い所にある「呼吸」に意識を向けてあげるのがオススメです。

「呼吸」がちゃんと観察できるようになると、今度は自分の「体の感覚」に意識を向けられるようになります。そして「体の感覚」がしっかり分かってくると、深い意味で自分の「気持ち」や「想い」に向き合うことができるようになるでしょう。そして気付いているようで気付いていない、自分の「気持ち」や「想い」と深くコンタクトできるようになると、「価値観」や「思い込み」に気が付くのはそんなに難しいことではありません。





この辺りのことについてはまたいずれ詳しく書きたいと思いますが、まずは過去のブログ(→「呼吸」「体の声を聴く」)もご覧になってみてください。全体像としてはその様につながっています。今回はここで。




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