2014年6月15日日曜日

心と体の不思議 〜 姿勢とココロ



皆さんは「肩を落とす」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか? 



「肩を落とす」という言葉は「肩が落ちている」というカラダの状態だけでなく、「落ち込んでいる」というココロの状態も表しています。誰しも落ち込んでいるときは肩が前に落ち、顔はうつむき加減になります。

逆に「胸をはる」という言葉も「肩を後ろに引いて胸をはる」というカラダの状態だけでなく、「誇らしげである」・「堂々としている」などココロの状態も表しています。





この様に、私達の「姿勢」や「カラダの状態」と「ココロ」は深く、強く結びついています。そして一般的には、落ち込んでいると肩が落ちる、嬉しいと足取りが軽くなる、というように「心の状態が体の状態を決める」と考えられています。

しかし実は、逆に「姿勢や体の状態を変えることで、心の状態を変える」こともできるのです。





一つ実験をしてみましょう。

まず、肩を落としてうつむいて、とっても落ち込んでいる格好をしてみてください。ではその体勢で「楽しいな」とか「嬉しいな」とか声に出してみてください。あるいは、楽しいことを思い浮かべてみてください。

いかがでしたでしょうか?


次に、胸をはって、思い切り笑顔をつくって、「哀しいな」とか「つらいな」とか声に出してみてください。そして最近あった嫌なことを思い出してみてください。

どうですか?
どちらも何か違和感がありませんでしたか?


逆に、肩を落として「哀しいな」とか「つらいな」とか言ってみると、本当に気分が落ち込みそうな感じがあるはずですし、胸をはって笑顔で「楽しいな」とか「嬉しいな」とか言ってみると、何となく元気が出てくるはずです。





この様に、姿勢・表情・しぐさなど、体の使い方一つで、私たちの気持ちや感じ方・ココロの在り方や方向性は変わります。どの様なしくみなのかは分かりませんが、人間の体と心はその様にできています。

「笑う門には福来る」と言いますが、「楽しいから笑う」のは当たり前のことですが、「笑っていると楽しくなってくる」のも本当のことなのです。目線を少し上げるだけでも気持ちは変わります。





姿勢も綺麗な方が見た目や格好もよいものですが、それよりも何よりも、姿勢や体の使い方一つで自分の気持ちが変わるとしたら、普段余り意識することのない自分の姿勢や体の状態に、もう少し意識を向けてみる価値はあるのではないでしょうか?



2014年6月6日金曜日

体の声を聴く


「ささやき声に耳を傾ければ、叫び声を聴く必要はない」という言葉がネイティブアメリカンのある部族に伝わっているそうです。


はっきりとは覚えていませんが、「物事が大きくなってから解決するのは下。問題が小さいうちに解決するのは中。そもそも問題が生じないようにするのが上。」という一節が、老子か荘子の言葉にもあったように記憶しています。

とかく忙しい日常の中で、私たちはきちんと「体のささやき」を聴いているでしょうか?






私たちの「頭」(理性)や「心」(感情)は、何が正しくて、何が間違っているのか分かっていません。(「いやいや、私はいつでも完璧に正しい」と思っている方もいらっしゃるでしょうが、それは大体の場合勘違いです。)

でも私たちの「体」は、「本当は何が正しいのか」ちゃんと分かっています。体は潜在意識と深くつながっていて、いくら頭で「好き」と思い込もうとしていることでも、心で「欲しい」と思ったとしても、自分にとって「良くない」物をきちんと見分け、それを様々な形で知らせてくれています。



それは「なんとなくすっきりしない」「気持ちの悪い感じ」であったり、「イライラ感」であったりするかもしれません。または「疲労感」であったり、頭や肩、首や腰の「こり」や「痛み」や、あるいは「やる気の起きない感じ」かもしれません。「食欲のなさ」や「食事後の不快感」、「便秘」や「下痢」、「冷え」や「むくみ」、「不眠」や「不安感」、「居心地の悪さ」かもしれません。

それらの「体の声」は、「何かが間違っている」ことを、私たちに知らせてくれています。






ごく一部の場合を除き、病気や不調はある日突然なるものではないと思います。少なくとも8~9割の病気は、事態が深刻になる前に、必ず体からその様な何らかのサインや危険信号がでているはずです。


もしそれらのサインが「ささやき」のうちにきちんと向き合って、「何が間違っているのか」をきちんと知り、頭で理解するだけでなく腹に落として、それを正すことをすれば、大病という「絶叫」を聴く必要はなく、殆どの病気は防げる。そう僕は信じています。






私たちは痛みや不調を嫌います。それは生き物として当然と言えば当然のことです。しかし別の見方をすれば、体の痛みや不調は私たちに「間違った方向」と、「正しい方向」を示してくれています。それがあるからこそ、私たちは「どちらの方向に向かえばよいのか」知ることができます。


見方を変えれば、痛みや不調は、そして病気でさえも、本当は私たちをよりよい方向へと導いてくれる「ガイド」なのではないでしょうか?



それは、私たちの人生に起こる問題や困難が、実は私たちに更なる成長の機会を与えてくているのととてもよく似ています。そこから「何かを学びとろうとする意思」さえあれば、そこから目をそむけずにしっかりと耳を傾けさえすれば、私たちは必ずそこから何か得ることができるはずです。






人によっては初めのうちは、「大声」すら聞こえないかも知れません。しかし、意識してきちんと「聴く」ことを習慣にすれば、誰にでも次第に「ささやき」が聞こえるようになってきます。そして更に感度があがれば、今度は「心地よさ」や「安らぎ」、そして「幸せ」という「歌」も聞こえてくるかもしれません。

そこまでいけば、そこまで深く優しく自分の心や体と対話することができる様になれば、ごく自然と、自分にとって、そして周りの人にとっても「正しい選択」をする様になり、「良い」ものしか選ばないようになるのではないかと思います。


その時には、今「良いものだ」と思っているものが、実はそうではなかったと気が付くかもしれません。あるいは、今「楽しい」と思っていることが、自分を害している、と気が付くかもしれません。また逆に、今自分にとって全く「価値がない」と思っていることが、本当はとても大切なことだった、と気が付くかもしれません。






今、あたなはどんな「声」を聴いているでしょうか?

「ささやき」は聞こえていますか?



瞑想

精神的に満たされない日々を送っていたためか、十代の終わりから心の平穏を求めて、老子や荘子の「無」や「自然」の思想や、禅の「悟り」と呼ばれる境地に興味を持ち、その様な境地に至るため様々なことをしてきました。今ではその様な想いはもうありませんが、毎朝夜明けと共に瞑想するのが日課となっています。



近年アメリカのビジネスマンや知識人の間で瞑想が流行っていて、Google本社でも瞑想を取り入れ始めたそうです。またマインドフルネス認知療法という形で、オックスフォード大学などでも瞑想が研究され、病気の治療のために実践されています。十年以上にわたる個人的な体験からも、瞑想は「よりよく生きる」ために役に立つものだと確信しています。


武術

「武」の道を極めたいと思っています。

人生でひとつだけ欲しいものを選べ、と言われたらこれを選ぶかもしれません。



武術は面白い。武術は奥が深い。


武術を通じて、体について、心について、そして生き方について多くのことを学びました。そもそも治療の仕事を始めたのも武術がきっかけの一つでした。「体を治すこと」と「体を壊すこと」は「体を深く知る」という同じコインの裏表。どちらかの技が深まれば、もう一方の技も深まる。そう考えています。

見よう見真似で空手や中国武術を学ぶことから始まって、合気道、大東流合気柔術、神道夢想流杖術、カポエイラ、ロシアの軍隊格闘術システマ、戸隠流忍術など、様々な武術を学んできました。色々やったと言っても、どれも少しずつかじっだけで全く大成していませんが、どの流派から入っても、「ほんもの」の達人の動きは、力みがなく、無駄がなくて、自然体で美しい。自分もそうありたいと思います。

打撃や関節技など徒手格闘術だけでなく、刀や杖、ナイフや銃などの武器術などもやりました。でも結局のところ、一番「強い」人とは「闘わない」人なのだろうな、と思うようになりました。「出会う人全てを味方につける」。それが最高の「武」の技なのかもしれないな、と最近感じています。




一生をかけて、この身と心を磨いてゆきたいと思います。



音楽

No Music No Life


朝から晩まで音楽を聴いています。
ポップから始まって、ヘビーメタル、ロック、フォーク、レゲエ、トランス、テクノ、アンビエント、ヒップホップ、ファンク、ブルース、ソウル、まで、アメリカ、アフリカ、ケルト、ブラジル、ハワイ、など世界各地の音楽を聴きながら毎日を過ごしています。最近は年齢のせいか激しい音は耳に馴染まず、穏やかなピアノ楽曲などを聴くようになったのをきっかけに、クラシックのよさに目覚めました。

何でも聴きます。
オススメがあれば是非教えてください。



音楽に限らず、人でも物でも芸でも、形に関わらず、「ほんもの」に触れるのは大好きです。面白そうなイベントやコンサート・ライブなどあれば、そちらも教えて頂けると嬉しいです。


ちなみに僕の大学の卒業論文のタイトルは、『ボブ・マーリーとラスタファリアニズム』でした。(ボブ・マーリーはジャマイカのゲットー出身のミュージシャンで、レゲエ界のトップアーティストの一人であり、エチオピアの皇帝ハイレ・セラシエを生神と崇めるラスタファリという宗教/黒人のアフリカ帰還運動の旗頭的存在で、亡くなった今でも地域や人種を超えて世界中で愛されています。




写真





 

写真を撮るのが好きで、旅先や山で、心が動かされた時に写真を撮っています。

そして、「今この瞬間にも、世界にはこんな場所があるんだ」ということを思い出すため、たまに今までに行った方々の場所の写真を眺めて過ごしています。



こちら(FACEBOOK)にその様な写真を、気が向いたときにアップしています。お時間があればご覧になってみて下さい。

写真を通して皆さまにも自然のパワーが伝わったら嬉しいです。


*(今気が付いたのですが、全ての写真が公開になっていないみたいです。トライしてみたのですが一部のものしか公開設定にできませんでした。まだまだ他にもあるので、徐々にアップしていきたいと思います。2014.6.22)