2014年6月6日金曜日

体の声を聴く


「ささやき声に耳を傾ければ、叫び声を聴く必要はない」という言葉がネイティブアメリカンのある部族に伝わっているそうです。


はっきりとは覚えていませんが、「物事が大きくなってから解決するのは下。問題が小さいうちに解決するのは中。そもそも問題が生じないようにするのが上。」という一節が、老子か荘子の言葉にもあったように記憶しています。

とかく忙しい日常の中で、私たちはきちんと「体のささやき」を聴いているでしょうか?






私たちの「頭」(理性)や「心」(感情)は、何が正しくて、何が間違っているのか分かっていません。(「いやいや、私はいつでも完璧に正しい」と思っている方もいらっしゃるでしょうが、それは大体の場合勘違いです。)

でも私たちの「体」は、「本当は何が正しいのか」ちゃんと分かっています。体は潜在意識と深くつながっていて、いくら頭で「好き」と思い込もうとしていることでも、心で「欲しい」と思ったとしても、自分にとって「良くない」物をきちんと見分け、それを様々な形で知らせてくれています。



それは「なんとなくすっきりしない」「気持ちの悪い感じ」であったり、「イライラ感」であったりするかもしれません。または「疲労感」であったり、頭や肩、首や腰の「こり」や「痛み」や、あるいは「やる気の起きない感じ」かもしれません。「食欲のなさ」や「食事後の不快感」、「便秘」や「下痢」、「冷え」や「むくみ」、「不眠」や「不安感」、「居心地の悪さ」かもしれません。

それらの「体の声」は、「何かが間違っている」ことを、私たちに知らせてくれています。






ごく一部の場合を除き、病気や不調はある日突然なるものではないと思います。少なくとも8~9割の病気は、事態が深刻になる前に、必ず体からその様な何らかのサインや危険信号がでているはずです。


もしそれらのサインが「ささやき」のうちにきちんと向き合って、「何が間違っているのか」をきちんと知り、頭で理解するだけでなく腹に落として、それを正すことをすれば、大病という「絶叫」を聴く必要はなく、殆どの病気は防げる。そう僕は信じています。






私たちは痛みや不調を嫌います。それは生き物として当然と言えば当然のことです。しかし別の見方をすれば、体の痛みや不調は私たちに「間違った方向」と、「正しい方向」を示してくれています。それがあるからこそ、私たちは「どちらの方向に向かえばよいのか」知ることができます。


見方を変えれば、痛みや不調は、そして病気でさえも、本当は私たちをよりよい方向へと導いてくれる「ガイド」なのではないでしょうか?



それは、私たちの人生に起こる問題や困難が、実は私たちに更なる成長の機会を与えてくているのととてもよく似ています。そこから「何かを学びとろうとする意思」さえあれば、そこから目をそむけずにしっかりと耳を傾けさえすれば、私たちは必ずそこから何か得ることができるはずです。






人によっては初めのうちは、「大声」すら聞こえないかも知れません。しかし、意識してきちんと「聴く」ことを習慣にすれば、誰にでも次第に「ささやき」が聞こえるようになってきます。そして更に感度があがれば、今度は「心地よさ」や「安らぎ」、そして「幸せ」という「歌」も聞こえてくるかもしれません。

そこまでいけば、そこまで深く優しく自分の心や体と対話することができる様になれば、ごく自然と、自分にとって、そして周りの人にとっても「正しい選択」をする様になり、「良い」ものしか選ばないようになるのではないかと思います。


その時には、今「良いものだ」と思っているものが、実はそうではなかったと気が付くかもしれません。あるいは、今「楽しい」と思っていることが、自分を害している、と気が付くかもしれません。また逆に、今自分にとって全く「価値がない」と思っていることが、本当はとても大切なことだった、と気が付くかもしれません。






今、あたなはどんな「声」を聴いているでしょうか?

「ささやき」は聞こえていますか?



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